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スペイン歴史:フランコ独裁時代

スペインって「ファシズムの独裁体制」だったよなー。
でも実際は良く分からない、という方のための歴史カテゴリ。

 

フランコ独裁体制は

  内戦での勝利として1939年に国家主席を名乗り、その後36年間続きました

最初の内は独裁体制の色が強かったものの、
1900年代後半になると体制内の機関が中心となって政治を進めていくようになります。

体制の始まり

1936年からの

 

       共和国派(当時の人民戦線政府)+ソ連、国際義勇軍
                   VS
       軍(フランコ側)+ファシズム国家のイタリアとドイツ

         

         の内戦の末、1939年に軍側が勝利宣言することで始まります。

フランコが布いた全体主義体制の特徴

  1. 内戦時からのファランヘ党、そしてその後改変されたMOVIMIENTO(国民運動)という単一政党。
  2. ファランヘが力を持ちすぎた後、教会との強いつながりが出来る。
  3. 政治的カトリシズムであるAcción Católicaの形成でファランヘの不在を埋めた。
  4. 1957年にオプスデイというカトリックの信仰運動組織から2人閣僚が入閣。
    オプスデイと安定した関係を築いた。
  5. 学校や居住区などが戦後整えられ、共通の思想を持つ組織が若者などをまとめやすくなった
    例えば、オプスデイは資金提供で若者を当時アメリカへ留学させたりしていた。
  6. 若者の教育体制を整えたことで技術官僚主導の政治体制になったこと。
  7. 新しいエリートによって経済発展のため改革などが行われた。

     

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       写真:フランコ時代の国旗(1938-75年)
       中央のヨハネの鷲はフランコ時代のシンボル
       現在の国旗は鷲と弓矢が取り除かれている。

社会の変化(一九〇〇年代後半)

「内戦→独裁→不安定→移住→社会変革→順応→保守的」という形で社会は変化。

内戦で共和国派だった地域への弾圧から逃げる人や
                  新体制に危機感を感じて国内外に逃げる人

国内では、
  • 国内移住者が増加した都市では、居住区を造るため建築産業が盛んになり、
    建築労働者らの子供は教育機関に行けるようになるなど、安定した生活を
    保つために人々は保守的になっていった。
  • 教育の流布で、多様な反体制グループも出来て、大衆政治に目を向け始めた。
  • 西洋の教育を受けた大学生の多くが反体制を叫び、取り締まりを受けたりした。
  • 「スペイン人」という価値観
    :Castellano(日本ではスペイン語)のみしか話せない弾圧に対して、
     カタルーニャやバスクでは反発が強まった。
    (バスク独立派のETAによる襲撃が開始されたのも20世紀後半の話。)
国外との関係
  • 冷戦時代西側諸国の一員となった為、イギリス・フランス・アメリカから
    民主社会の意識が流れ込み、対外的孤立を解消するために社会変革を行う。
  • 貿易などで経済成長が73年までは日本に次いで2位と、
    国民に資本主義による豊かさが浸透していった。