歴史:スペインも原子爆弾の被害者だった?!
1966年1月17日、パロマレス(Palomares)というスペイン南東部で
核爆弾4つをのせたB-52機が他の飛行機に追突し墜落する事件が起きました。
当時は冷戦下。
ヨーロッパの各地にソ連への威嚇としてアメリカのB-52の空路が開かれていました。
事件直後:堕ちた核爆弾
El Mundoより La verdad oculta de Palomares, 50 años después | Ciencia | EL MUNDO
核爆弾自体は爆発はしなかったものの、
二つの爆弾はパラシュートが開かず、粉々に壊れた状態で見つかり、
辺りには高い放射線を持つプルトニウムが検出されました。
事件の数日後には700人もの科学者らがアメリカから、
爆弾がどこに堕ちたのか、またその爆弾を安全に始末することを目的に集まりました。
二〇〇七年の研究より:落ちた飛行機と爆弾の位置、汚染地域。
事件から八〇日後、海に堕ちた核爆弾が発見される。
El Mundoより。同記事
一九六六年二月八日、情報・観光省大臣とアメリカ大使がPalomaresの海で泳ぎ、安全を訴える。
Ideal esより Palomares: la Hiroshima que esquivó la mala suerte
ただ広島に堕ちた爆弾の約七五倍ともいわれていたり、
今でも地上では立入禁止区域が設定されていたり、
当時はフランコ独裁政権だったり、が関係して
本当に安全なのか、また安全だったのかは隠された真実があるのではないかと
疑われてもいます。
ラファエル・モレノ氏は二〇一〇年からのPSOEサパテロ政権の時に、
研究者が入れ替わり、安全性を一から調べなおすチームが組まれたと
El Mundoに説明しています。
そして現状としては
2015年の10月に、アメリカとスペイン両国の政府間で汚染された土を
アメリカのネバダへ移転するという取り決めがなされ、入替を待っている状態です。
核爆弾博物館@Palomares
11月25日:性に対する暴力反対の日
今年はブラックフライデーと被りましたが、
11月25日は全国的に性に対する暴力反対の日です。
スペインでも男尊女卑(マチスタ)に反対するイベントなどが各地で行われました。
歴史:性差別反対の日がどうして11月25日なのか。
この日付は、1960年にドミニカ共和国出身の四人姉妹のうち三人が
当時のラファエル・レオニダス・トルヒーヨの独裁政権の指示の下、
11月25日に殺害された事件から来ています。
El Paisより:左がパトリア、右がミネルヴァ:家族写真
Día Internacional contra la Violencia de género | EL PAÍS
殺害指示の訳
ミネルヴァさんが、彼女のパートナーであり、同じくトルヒーヨに殺された
マヌエル・タバレス・マノロと独裁政治反対の運動を始めたことがきっかけでした。
ミネルヴァら姉妹は、タバレスが若者や農業従事者、神学生や学生を率いた、
6月14日の革命運動など、精力的に反体制運動に関わりました。
この運動の末、
タバレスや姉妹の1人パトリアの夫であったペドロ・ゴンザレスなどが捕まりましたが
その後も姉妹は活動をつづけました。
独裁者トルヒーヨは
体制への脅威と見なして、反体制の者を拷問したり、殺害しました。
その中での
1960年11月25日のミネルヴァ、パトリア、マリア・テレサ姉妹の殺害事件でした。
姉妹の中で唯一、デデ・ミラバルさんだけが生き残り、
この事件を後世に受け継ぐことを決心し、自伝などで広めました。
その結果、性に対する暴力反対運動は
- 1981年からラテンアメリカで、
- 1999年に国際連合がこの日を女性への暴力排除国際デーと宣言し、世界へ
広まりました。
現在
国連の調べによると、
この地球上では10分ごとに男の人が女の人を殺害する事件が起きています。(*)
スペインでも連日、女性が暴力を振るわれ殺された事件の報道がなされています。
これはスペイン国内だけではなく、特にラテンアメリカでの事件も含まれます。
日本ではジェンダー問題というと女性の働く社会など、ステータスに関わる問題
が議論されたりします。
しかし、
視聴者を獲得するために映画のような事件を取り扱うためだという批判も
あるものの、
スペインのニュースでは家庭内暴力などの女性が身体的暴力の被害者になるものが
よく報道されてます。
また、
フランスやスペインの売春婦の殺害事件も多く、問題になることが多いです。
ただ、
難しいことに第1、第2波を辿った第3波の現在のフェミニズムは様々な思想があり、
- 売春婦は職業の自由に基づいているから、女性の選ぶ権利がある。
- 売春婦にならざるを得ない環境があるのは、女性がさげすまれている。
などという考えなどが存在していることから
議論は議論のまま止まってしまうことが多いようです。
ちなみに
女性への暴力に対する報道ばかりで、あまり男性へのものはありませんが
様々なところで「性暴力に対する日」と言われているため、
一応この記事でもそう示しておきます。
最後に、
最近流行りのマネキンチャレンジから、
Son Llàtzer 病院での話題になったビデオを貼り付けておきます。
この手形は、暴力反対のシンボルだそうです。
リタ・バルベラ死去(11月23日)
11月23日、
元バレンシア市長のPP所属リタ・バルベラが心臓発作で亡くなったという訃報が
世間を驚かせています。
写真:El diario Los últimos días de Rita Barberá より
なぜ世間を驚かしているかというと彼女は数々の汚職事件に関わっており、
現在はその調査を受けている途中の出来事であり、また
この間のフェリペ6世の第7立法国会承認の時には国会に姿を見せていたからです。
リタ・バルベラの政治人生
- 1991年7月5日から2015年6月までバレンシア州長を務める。
- (選挙では1995, 1999, 2003, 2007, 2011年と大勝利を収める。)
- 親しくしていたFrancisco Campsがカタルーニャ議会長になる。
- 2006年、当時のカタルーニャ・バレンシア・バレアレス諸島自治州政府における大臣Juan Cotinoがグルテル汚職事件で捕まる。
- 2014年Francisco CampsとのNoos事件関与、ただし追及まではされず。
リタは278.000ユーロをホテル代に使ったなど批判はされた。 - 2015年、重なる汚職の疑いにより、州長選挙に負ける。
- 2016年9月より最高裁判所でのマネーロンダリング過失罪で追及されている
中での11月23日の死亡であった。
訃報を受けて
- 汚職事件へのメディアの強い追及がリタに心臓発作を起こさせたと批判している人も少なくはありません。
- 国会では、一分間の黙祷がささげられましたが、
PODEMOSはその間は退席しました。 - PP議員らはリタの汚職事件関与を受けて
「党のためにならない」と批判してきましたが、訃報が入った後は、
「悲しい日になった。バレンシアやスペインのために力を尽くした人だった」
と賛辞を送っています。
El diarioより( http://www.eldiario.es/politica/decian-dirigentes-PP-Rita-Barbera_0_583392651.html )
*過去の記事